青少年への応援歌!若い人に紹介したい中島みゆき「ファイト!!」

知り合いがカラオケでよく歌っていて、その度に「いい曲だなあ」と思いつつ、その感情を文章にする機会がありませんでした。

さっきテレビで明石家さんまさんと高橋優さん等が共演する番組がやっていたのですが、その中で高橋さんが好きだという中島みゆきさんの「糸」を歌う場面があって、やっぱり文章にしたいなと思ったので、「ファイト!!」と向き合ってみたいと思います。

若い、特に傷ついた人に、ぜひ聞いてほしいです。

書きたいこと

  • ファイトとしか言えない、中島さんのもどかしさを感じた。
  • 中島さんは、光陰で言えば陰の存在。
  • 最近の若者にも、受け入れられると思う。悩みの質は昔とは違うが。

昔はあまり中島みゆき好きじゃありませんでした。

この曲の出来た経緯などは、他の方に任せます。

高校生の頃。中島みゆきを聞いて、「暗いなあ」としか感じなくて、失礼ですが興味がわかなかったのです。

前述の知り合いのカラオケを聞いて、それが心に残っていて。意外と中島みゆき、いいんじゃないかと。偉そうにすみません。

それで聞いたのが上の動画の音源です。熊本震災、確かにあったなあ。他人の僕には、残念ながら、その程度の関心しか持てません。

なのに。

無性に心に響く。まだMCの最中で、歌ってもないのに、あの知り合いの歌声を思い出して、視界が緩む。

ああ、これは「頑張れなんてとても言えない。でもファイト、としか言えないもどかしさ」を歌った曲なんだなあと。

だからか、上の音源のファイトは最初、なんだか戸惑っているような、ささやきかけるような優しい感じです。

それが段々と熱を帯びていく中で、中島さんとともに聞いた人も気持ちを強くしていく、そんな意図があるのかなと思いますが。

そんなことは抜きして、なぜだか無性に心に響くものがあります。

反感もあっただろうに、よく世の中に出せたなと。ホントにすごい。

この曲が世に出たのは1980年代。そんな日本の絶頂時代に生まれたこの曲が、今にも通じるなんて、中島さんは普遍性と世の中の仕組みを知っている人なんだな、と思います。

だって、普通世の中がうまく行っている(と思われている)時期に、こんな曲出したら叩かれますよ普通。世間、特にマスコミはとかく、経済優先で人間味が薄いというか、冷たいものですからね。

そんな時期に、世の中の反感も覚悟して出しただろうこの曲は、今の時代になってその色味を、輝きを濃くしてきています。

理不尽がまかり通る世の中。それなのにファイトとしか言えないもどかしさ。

僕は、前述のようにファイトとしか言えない中島さん自身のもどかしさを感じました。その葛藤が、より熱を帯びて歌声に乗り移っているように感じられるのです。

人間、誰かになりかわったり、その痛みを分け合うことすらできません。血を分けた親子ですら分かり合えないことがあるのですから。

だからこそ、せめてもの応援歌として、ファイト、と歌うことで理不尽な目にあっている世の中の人に寄り添いたかったのではないかなと、思います。

その思いが叩かれる恐怖を超えた時、この名曲は生まれたのです。

音楽がテクニカルになってきた時代、これからこういう曲が反動として流行るかも。

確かに最近のリズミカルでよく作られた曲たち、好きなんです。大好きです。

だからこそ、この曲に心を動かされた時、「ああ、なんか自分も変わってきたのかな」と思ったのです。それは高校生時代の感想とはかけ離れたものでした。

世相的には、1980年代とは比べ物にならないくらい今の日本は悲惨ですが、それでも比較的世界の中では恵まれています。

そんな中で、ようやくファイト、という掛け声が受け入れられるようになってきたのかなあと思うのです。

光陰で言えば、陰の存在。

中島さんは間違いなく、光陰で言えば陰の存在でしょう。これは間違いないと思います。

光はもう、サザンオールスターズとか山下達郎さんとか。

これまで僕は、陰の方に目を向ける余裕がありませんでした。陰のちからに、闇に引きずり込まれそうだと、勝手に思い込んでいたのです。

高校生時代の僕もそうですが、傷ついていると、傷ついていることを自覚したくなくなるのです。

心に余裕が出てくれば素直に自分の傷を認められるのですが、余裕が無いと「余計なことしてくれるな」となってしまうわけです。

ですが、陰があって光が成り立つ。

最近「陰キャ」という、暗い人間のことを指す言葉がネットで流行っている(た?)のですが、これは高校時代の僕と同じく、不安な世の中で陰になりたくない、その恐怖心から皆使っていたのだと思います。

陰があって人間成り立つのです。陰のない人間などいません。

進んで陰の存在になろうとした中島さんは、凄まじいパワーを持った存在だと思います。

最近の世の中の不安は、自分の中の敵に端を発している

オジサン世代、特に50代より上の人には理解できないかもしれませんが、本当に青少年は自分探しが好きです。好きというか、やらざるを得ない状況なのです。

まず、社会に「貧しさ」「ソ連」「旧財閥」と言った共通敵が居ない。貧困というほど酷い状況に陥ることは少ない。貧困は共通的ではありません。だから、もっと豊かになってやる、とは思えない。でも、苦しいのは事実。ネットカフェ難民など、ジワジワと、真綿で首をシメられるようなものです。

やりどころのない怒りを、自分への怒りを、そっと抱えながら生きているのが今の若者です。

だから些細なことでつまずいて、悩んでしまうのです。

そんな若者に、「頑張れ」と言ってはいけません。

ただ優しく、「ファイト」と寄り添うことが、最大公約数的な正解なのかなと思います。

ここらへん、東日本大震災以降、50代以上の被災者の間でも変わってきているはずだと思います。

あれほど多くの人間が一度に被災する出来事は、戦後ありませんでした。

理不尽を味わって、自分の力ではうまくいかない現実を知った。だからこそ、新しい価値観が生まれている、はず、だと思うのです。

昔と悩みの質は違う。でも掛け声は「ファイト」

思えば、ファイトっていう言葉のチョイスがジャストフィットしてますよね。頑張れ、は強制的。行け、なんて言うと他人事みたい。カタカナ語の優しさが、上手く機能しています。

1980年代とは、若者の悩みの質も違うので、この曲の受け止められ方は、曲が世に出た当時とは違うかもしれません。

ですが、普遍性を持っているからこそ、受け入れられるのだと思います。前述の高橋優さんのように。

身近に悩んでいる人がいたら、ぜひこの曲をすすめてみて下さい。

まとめ

  • ファイトとしか言えない、中島さんのもどかしさを感じた。
  • 中島さんは、光陰で言えば陰の存在。
  • 最近の若者にも、受け入れられると思う。悩みの質は昔とは違うが。
スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク
スポンサーリンク