ひきこもりには、魚釣りがおすすめ、なんて無責任に書きましたが、これは割りとマジで言ってます。
おすすめする理由をざっと考えただけで、これだけ浮かびました。魚釣りとひきこもりは、実は親和性が高いのです。
- 太陽に当たれる
- 知的好奇心が満たせる
- 近所の目を気にしなくて済む
- 一時的に一人になれる
- 周りが一人にしてくれない
- 魚を通じて人間不信を軽く出来る
- 時間を潰せる
無理に魚釣りしろとは言いません。ですが、最終的に脱出したい人は、可能性として、考えてみてね、という話です。
ひとつひとつ解説していきましょう。
太陽に当たれる
釣りのイメージ。
青い海、輝く太陽・・・小麦色の肌。
それに比べて、
パソコンのモニタ、青白い蛍光灯・・・白い肌。
どっちが健康的でしょうか。ひきこもりからの脱出とは、最終的に心身ともに健康になることです。
太陽に当たると、体内にビタミンDが生成されるというのは有名な話です。
必須栄養素が生成されるだけでなく、太陽の出ている時間に外に出ることで、結果として生活リズムが改善される効果もあります。
僕がカーテンを締め切った部屋でひきこもっていた時は、朝や昼間親に会うのも嫌で、自然と夜型人間になっていました。
そのことで、昼間は無理やり起きているようなもので、常にボーっとした状態となり、昼間に活動できなくなってしまいました。
当時、心療内科を受診していたのですが、ボーッとした頭では、逆に神経は鋭敏になります。人への怖さなど、昼間の精神状態も悪くなり、心療内科へ行けないという悪循環も生まれました。
夜型人間の悪影響をご理解いただけたでしょうか。太陽に当たるのは、メリットだけでなく、夜型人間のデメリットをそっくりそのまま解消することにも繋がるのです。
単順に、日焼けしていると自信に繋がるというメリットもあります。というより、僕の白い肌やひょろっとした腕は、当時コンプレックスものでした。
知的好奇心を満たせる
釣りをしようとすると、わからないことだらけです。すると、色々ネットで調べて、心がワクワクしだします。知的好奇心が満たされているのです。
好奇心というのは他の「だるい」「ボーっとする」といった辛い感覚に不思議と勝るもので、それらを打ち消してくれます。夢中になっているということですね。
ひきこもりを活動的にしてくれるのが、釣りなのです。
釣りを始めるにあたって、ひとつ障壁があります。
それは釣具屋。
ひきこもりにとって、店員も「敵」「怖い存在」なのです。
だから、できるだけ話しかけないで済むように、ネットで完璧に調べ上げてから釣具屋に向かおうとするでしょう。僕がそうでした。
この、壁を破って外に出る行為、非常に成長につながります。
すべては、知的好奇心を満たすためのもの。知的好奇心は、何にも勝ります。
近所の目を気にしなくて済む
前にネットで、家の近くに来るカラスに毎朝話しかけていたらカラスが挨拶をしてくれるようになったという情報を2chまとめサイトで見かけて爆笑したのですが、そんなことひきこもりには出来ません。
ひきこもりは、過剰に近所の目を気にしているからです。
ならば、家から離れたところなら好き勝手(?)出来るじゃんというのが、おすすめする理屈。
案ずるより産むが易し、釣りはしなくていいので近くの海や川に行ってみてください。
そこは自然が支配する世界。釣り人や鳥、魚はそこに一体化しています。あなたを邪魔するものはありません。漁港なんかは別ですけどね。
音楽活動をしている元ひきこもりの方は自助会に行った限りでは意外と多いです。部屋で出来るからですかね。
ですが、人の怖さが極地に至ると、音をだすことさえ、自分の存在を近所に認知される恐怖へと繋がります。昼間からなにやってんだと、思われるのではないかという恐怖ですね。
そうした敷居を低くしてくれるのが、実は家から離れたところで活動することなのです。
一時的に一人になれる
何を言ってるんだ、部屋では一人じゃないか。と言われるかもしれません。
ですが、部屋はシェルターであって、真に心休まる空間ではないことも多いのです。
核シェルターで一生暮らせるか、という話ですね。
そんなひきこもりが一人になれるのが、釣り。
魚を相手にするわけですから、自然と一対一の関係になります。
外で一人なると、すごく落ち着くのです。外が怖いはずなのに。
その理由は、自分の存在意義を確認できるのは、「外」しかないからに他なりません。
自分が自分でいられるのは、最終的には人と人の間なのですが、そこはやはり外なのです。
また、ひきこもりは人からどう思われているかも気にしますから、「あの人は釣りをしているんだな」と思われる想定で行動することは、当事者の不安感を和らげます。
どんだけ豆腐マインドやねんと思われるかもしれませんが、ひきこもりは、それだけの傷を晒して生きています。傷は空気に触れただけでも痛いのです。
周りが一人にしてくれない
釣りをしていると、ひきこもりだろうが関係なく、人が話しかけてきます。
これは一見一個上の項目と相反するのですが、重要な事なのです。
つまり、ステップを踏んで人と関われる、ということです。
- 心が知的好奇心を求める
- 外に出る
- 怖いが、釣りという目的があるから楽
- 釣りをしている建前で外に居れるので、更に楽→結果として人と関わる敷居がさがる
という4つのステップですね。
それに、釣れた魚を自慢したいという思いもあるでしょう。たとえ知らない人からでも、「これなんの魚ですか?」と聞かれたら、ひきこもりでも嬉しく答えてしまうものなのです。
そこには、一対多ではなく、一対一の関係があります。ひきこもりにとって、相手が限定されている方が話しやすく敷居も低いのです。
魚を通じて人間不信を軽く出来る
ここまで読んでもらえたなら、これは説明する必要はないでしょう。
時間を潰せる
最後に、これは意外とすごいメリットです。心安らぐ時間が生活の中に生まれるので、安心感を持つようになります。結果、また釣りに行きたいから、生活リズムが改善するという好循環が生まれるわけです。
昼間に外で時間を潰せたら、もはやひきこもり脱出は時間の問題です。
家庭で親とも話をしやすくなるでしょう。
僕がひきこもりを脱出したのは必然だった。
ここまで書いてくると、魚釣りという趣味を持った僕がひきこもりから脱出したのは、必然だったと思えるようになりました。
結局、取っ掛かりが必要なんですね。それをうまく掴んでしまえば、多少何かあってもうまくいく。
変なこと言いますが、釣りじゃなくてもいいので、何か知的好奇心を満たせる趣味を探して下さい。それが釣りだったら、嬉しいな、と。
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