チョーネガティブなこと書きます!軽蔑しないでね。
知人へ勝手にあてる、感謝の手紙。
世の中には、オジサン達がつくった価値観の押しつけが溢れています。例えば、常にポジティブでなければならない、という価値観。
詳しく書くと名誉を傷つけるので書きたいくないのですが、とある知人で、自らの存在証明を深く掘り下げて悩んでいる方がいらっしゃいます。
ふとするとオジサン的ポジティブの押しつけに傾倒しそうになる僕を、ニュートラルな位置に戻してくれる方です。僕のアニメや釣りといった存在意義を、心から受け入れてくれる心優しき方です。
優しいから、悩むのだ。そして、ネガティブになる。
たまに、優しさは傷つきたくない心の裏返し、という論調の文章を見かけます。
それが事実だとして、それを研究・解析することにどれだけの意義があるのでしょうか。
かえって、優しい人びとを傷つけているのではないか、と思うのです。
優しい人は、傷つきやすいです。ちょっと不器用なんじゃないか、と感じる生き方を送っていることもあり、それがトラブルの元となることもあります。
僕は、どっちかというと利己的ですが、それでもオジサン的ポジティブシンキングには辟易します。笑顔のほうが魅力的だとか、言われてもなあ。
顔で笑い、心で涙する。
僕は僕でありたい。そんな思いを押し殺してまで、笑顔になる必要は、本来ないのです。
優しいから、悩んでネガティブになる。それは帰結であり、当然の結果。それで本人が自家中毒に陥っているならともかく、人生を必死で生きているなら、ネガティブ思考を否定される筋合いはないと思うのです。
ネガティブは、悪いことではありません。
ただしここで注意したいのは、周りを巻き込む必要はないということ。
ネガティブ思考は、こと周りを巻き込むことに長けています。周りからしたら迷惑で、トラブルのもとなのです。
ですから、一人で悲しみましょう。涙を流しても良いんです。顔で笑い、心で涙する。
僕らの幸せは、キミの幸せになる。それって本当かい?
この文章は、これまで見てきた優しい人びとを、思い浮かべながら書いています。例えば、子どもはまだ産まないのか?と度々言われる女性。顔で苦笑い、心で涙する。
社会が個人の幸せを、担保してくれる時代は終わりました。努力が、前向きさが続けば、明るい明日が待っている。そんな時代ではないのです。政府はまだそのことに気づいていない。それどころか、若者を巻き込んで「強いニッポン」を取り戻そうとする始末。
僕らの幸せが、果たして皆にとっての幸せなのか、僕らは胸に手をあてて考えてみるべきです。
例えば、学校の文化祭。果たして皆が楽しんでいたのでしょうか。
僕は、楽しまなきゃ場をしらけさせてしまう、という思い込みから焦っていました。結果、トイレに閉じこもったり、会場をひたすら歩きまわったりして、時間を潰していました。
白けた僕を、教室に晒したくなかったから。
今日も傷つき、生きていく。
心では、ポジティブにこうしなきゃと思い、その実、心底では傷ついていた。否、今日も僕は傷つき続けている。
そのことに、気づかせてくれた知人に、感謝です。
傷ついたって、下を向いて歩いていけばいい。歩みを止めても良い。そこには頑張ったなりの、景色があるはずだから。
そんな当たり前の事実を、僕は見落としていました。
傷ついても、ネガティブでも良いんです。それが、生きていくということ。
僕らは今日も、鼓動し続けます。
※といいつつ、男はナメられたらおしまいですよ!顔で笑い、心で涙する、です。平静を装いましょう。怒ってはいけません。
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