競馬依存を別の面から解決。俺プロ・ウマニティ等を代替手段として活用。

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競馬のやめ方は、やめたことによるメリットよりデメリットを考えること
2022年6月19日改訂 こんなタイトル書いといてあれなんですが、賭けたいという衝動はすさまじいものがあります。 実際何度も競馬を生活から断ち切ることに失敗してきています。 この度、どうしてやめられないのかを考えてきた結果を踏まえ、もう一度...

 

僕、やってしまいました。

 

さかのぼって9月末、月末に出た給料を全て競馬で使い果たしてしまったのです!

僕を信用してくださっていた方、もしいらっしゃったのならば。

 

すみませんでした・・・。

 

ですが、この10月は、むしろ一銭も競馬にお金を投じることなく過ごすことができています。

 

なぜ、いきなり競馬にお金を投じなくても平気になったのか。

今回は、競馬依存を別の側面から解決するアプローチを提示したいと思います。

 

書きたいこと

依存症とは脳がドーパミン=快楽物質を求めるスパイラルにハマった状態

ならば、ドーパミンが競馬で出ないように認知を書き換えてしまえばいい

 

競馬依存の正体、それは脳内物質の問題。

突然わけのわからないことを言い出したと思われるかもしれません。

 

まずは、競馬をやっている時、脳内で何が起きているのか、わかっていただきたいのです。

 

鍵はドーパミン。

脳内物質の中でも、人の行動を動機づける重要なものが、このドーパミン

 

別名快楽物質ともいわれます。

 

なぜか。

 

それは、快楽物質という名の通り、この物質が人間の脳に快楽をもたらすからです。

 

人間の本体は脳です。

ドーパミンは元来怠け者の人間が、やる気を出すための物質なのです。

これが仕事や遊びに向かえばいいサイクルになるのですが、一度ギャンブルでドーパミンが大量分泌されると、「これは気持ちぃ・・・」と思った脳が再びギャンブルを求めるようになります。

 

ドーパミンが出る時、それは馬券的中時と競馬が始まる直前

では、なぜ競馬でドーパミンが分泌されるのでしょうか。

 

ドーパミンは、楽しいこと、愉快なことと結びついて分泌されます。

 

釣りが趣味ならば、前回の釣果を思い出して、釣りに行く前日眠れなくなったりします・・・何を隠そう、私がそうなので。

 

同じように、競馬で馬券が当たるのって、楽しいしお金も増えるし、まさしく成功体験なわけです。

 

 

ふつうにフリーターやサラリーマンをしていると、こうした成功体験は中々できない。成果は会社のものにされてしまうのですから。

 

 

だから、脳が「競馬っていいな」と気づくと、そればかり求めるようになってしまうのです。

 

それと時を同じくして、「これから競馬が始まるよー」ってなると、楽しくなってきます。そりゃ、やめられないわけです。

 

この時にも、過去の馬券での成功体験を脳が思い出して、ドーパミンが出ているんだろうな、となんとなく想像できます。

 

 

では、ドーパミンを競馬で出し続けるとどうなるのでしょうか。

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ドーパミンの過剰分泌でドーパミン受容体が破壊される

ドーパミンの分泌が競馬によって強化され、競馬=快楽ということを脳が学習すると、ドーパミンの出る量がどんどん増えてきます。

 

そうすると、ある時許容量を超えたダムのように、ドーパミン受容体と呼ばれる脳の部位が一部破壊されます。

 

受容体がなければ、快楽を感じることもできません。ですが、ここに落とし穴が。

 

脳からしてみれば、ドーパミンは砂糖菓子のようなもの。一定程度は常にほしいので、「受容体が破壊されて快楽が薄まったのなら、ドーパミン分泌量をさらに増やしてしまえばいい」と考えてしまいます!

 

こうしてドーパミン分泌量が増加

受容体が破壊される

ドーパミン分泌量が増加

(略)

の負のスパイラルが始まってしまいます。

 

ドーパミンが過剰分泌気味だと、チョットしたきっかけで競馬にのめりこむ

こうしてドーパミンがバンバン出ている状態になると、ちょっとしたきっかけで競馬がやりたくなります。

 

今なら「Road to JBC」ってCMを見たりとか、有馬記念のCMを見たりとか・・・。

 

向こうも商売なので、ここらへんはわかってやっているはずです。

CMを見ただけでドーパミンが出て「やりたい」と簡単に思ってしまいます。

 

そしてある時、資金がなくなって途方に暮れる

とまあ、そんなことを、多くの競馬好きは繰り返しているわけです。

(競馬を投資と考えて、我慢できる人はすごい)

はたから見れば馬鹿にしか見えないんでしょうが、脳の学習の結果と考えれば多少は納得がいくのではないでしょうか。

 

ここで一つ。困ってないのなら、それこそ「もう死にたい」とか考えるほど追い込まれることがないのなら、ここから先はテキトウに読んでもらって構いません。

脳内の変化に伴う困りごとなので、本来はそういった外来へ行くべきなのですが、人間、情報を掴んで安心したいものです。外来だってすぐ受診できるわけじゃないですし。

 

そんな人に向けて書いている側面が強いです。

 

競馬=つまらないという刷り込みを脳にする

競馬依存が脳の学習の結果なら、学習結果を書き換えちゃえばいいのでは?

 

こうした、僕がこの1か月間で実感したことを提案したいのです。

 

「俺プロ」をはじめてみた

netkeibaという競馬情報サイトに、俺プロというものがあります。

ようはウマニティといっしょで、お金を賭けずに予想を書き込んで公開することができるというものです。

 

これがなぜいいのか。

 

最初、競馬と同じ感覚で楽しむことができるからです。

脳は、俺プロを競馬と勘違いして認識します。

 

楽しい、楽しい・・・最初はね。

 

途中で気づくのです。

「あれ、もしかしてこれ。あれ?楽しくないぞ!?」

 

競馬中継を見ながら、寝ている母親

実家にいたとき、競馬中継を見ている僕の横で、母親がソファに横になって寝ている光景を不思議に思っていました。

 

今、僕はまさにこれを書いている日曜日、同じように過ごしてしまいました

競馬中継って、意外と単調でつまらないのです。

 

なぜでしょうか。

 

おそらく、ヒントはお金を賭けないスリルのなさ

お金が無くなったらどうしよう、というスリルが競馬の楽しさのひとつだと思いませんか?

 

お金を賭けることこそ、競馬をやっている実感につながっているのです。

 

だから、俺プロでたとえ予想を出しているとしても、それは競馬ではない。

でも脳内的には、競馬だと思い込んでしまう。

 

ここに解決の糸口があるなーと、個人的に思うのです。

 

こうして僕は競馬に興味を失いかけている(現在進行形)

少なくとも、重賞しか楽しめないし、予想が当たっても余韻が長続きしなくなりました。

競馬で(一時的に)増えた貯金を通帳で眺めることも叶いませんしね。

 

この過程で、ドーパミン分泌、つまり「楽しい」という感覚は競馬には感じられなくなってきています

 

代わりに、これから何しよう、という不安感が強くなってきているのが困りものですが・・・。

 

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まあ、いい機会になったと思います。最近ようやく自分の将来やばいな、と感じられるようになってきましたから。

 

ということで、後半はやや蛇足気味でしたし、科学的というよりは僕個人的な話になってしまって申し訳ないのですが、いかがだったでしょうか。

 

何かヒントになれば幸いです。

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