友達との飲み会がつまらない、楽しくなくなったというあなたへ

一般生活

以前、会社や地域の飲み会が楽しくない、という方に向けてこういった記事を書きました

昔の記事なのでちょっと書き方が気合入りすぎて大げさというか、でも大筋では今も考えは変わってません。

今回は、やや対象を絞って、友達との飲み会がつまらない、楽しくないという方にむけて書いてみます。

書きたいこと

つまらない理由1:友達と価値観がずれている。

つまらない理由2:特定のキャラクターを強制される。

つまらない理由3:酒が苦手。

飲み会に出なくなると「飲み会出ないキャラ」が確立されて呼ばれなくなる。

一人の時間、多人数の時間。どうしてもどっちかが多くなる。

つまらない理由1:友達と価値観がずれている。

東京田舎ブルーカラーホワイトカラー家族持ち独身20~40代の間には、価値観の相違があふれています

 

どうしても、どーーーしても、立場が違うと価値観がずれてきます。家族持ちなら節約が当たり前ですが、逆に独身だとパチンコや車に金を使っていたり、その差は埋めがたいものです。

 

そして、現代というのはプロフェッショナル(特定のことが得意)がこれからどんどん増えていく社会なので、ゼネラリスト(旧来のサラリーマン・企業戦士=なんでも屋さん)は減少します。

なぜかというと、AIや合理化にゼネラリストのやっていた仕事が奪われていくから。

それは、ゼネラリスト同士共有できていたものが、プロフェッショナルが増えることで共有物でなくなってしまうことを意味します。

 

つまりは、生き方が人によってあまりに違うのです、現代は。

そりゃ話、合いませんよね。一昔前なら、結婚しない男が”ありえない”存在だったのです。それが今やあたりまえとなりつつあります。一方で、結婚/非婚や貞操観念で人にマウントを取る人間も存在します。

 

だから、飲み会で共有できるもの(昔話)が尽きると、沈黙が生まれてそこを無理やり埋めようとして、むなしくなってしまいます。

 

おじさんたちが集まる歌声喫茶を見て、若者が「何が楽しいんだろ」と思うのは、当然のことなのです。ある意味、おじさんたちは日本の経済成長という共有の価値観を持った幸福な集団といえます。

つまらない理由2:特定のキャラクターを強制される。

理由1の前提で話します。価値観の違う者同士の飲み会、それは空気の読みあいになります。あるものは話をリードし、うまく空気を作ります。そして、その中でヒエラルキーの弱い順にキャラクターを強制されます

  • 最上位:話をリードする役割
  • 二位:話を広げる役割
  • 三位:話を聞く役割
  • 四位:沈黙する役割

そこから逸脱すると、場に変な空気が漂うのです。

僕も、何度も失敗してきました。三~四位なのに、新しい話題を提案して、場をしらけさせてしまったり、失笑を買ったり。これは空気が読めてない。

悲しいことですが、これは事実だと思います。現代の若者は、僕も含めてあまりに空気に支配されすぎている。

そもそも、飲み会が楽しくないのだって不思議ではないんです。でも、飲み会=楽しいものだという空気に支配されているからこそ、我々は悩むのです。

嫌々こんな飲み会をやって、楽しいわけがないのです。だって、我々はみんな芸人じゃないのだから。

たとえ失笑を買っても、誰かがフォローするのが、本当に仲のいい友達だとも思います。

つまらない理由3:酒が苦手。

こればかりはどうしようもないですね。僕も苦手というか、すぐ赤くなってすぐ吐くのでつらいです。

最近は車で来たり、「俺、昔ビール2缶で血吐いてさ」と昔のエピソードを話したりして、酒を飲むことを避けています。

飲み会に出なくなると「飲み会出ないキャラ」が確立されて呼ばれなくなる。

飲みを断ったり、飲み会で沈黙していると飲み会に呼ばれなくなります。

これはこれで寂しいものがありますね。ですが、ここで自らに問うべきなのは、仲のいい友達といい関係でいたいのか、ひとりで過ごしたいのか、それとも無理して仲間に溶け込みたいのか、ということ。あなたはどれを目標としているのでしょうか。これがこの記事のキモです。

ここらへんは、付き合いが多くなるにつれあいまいになりがちです。

 

孤独だって選択の結果だし、決して恥じるべきではありません。飲み会に出る年齢だという事は、学校生活である程度人付き合いを学んだという事ですし、そのうえで孤独を選ぶのだって不正解ではないのです。

あえて、自らのメリットのために無理して溶け込むのだって正解です。

独りの時間、あるいは多人数の時間。どうしてもどっちかが多くなる。

選択の結果、独りかみんなでわいわいか、どうしてもどっちかが多くなります。

その理由は、これまで読んでくださった方ならなんとなくわかりますよね。

つまり、価値観があまりに違う我々若者世代、飲み会というシステムの中では、空気に排除されるか、空気に取り込まれるか、あるいは空気を作るかしかできないということです。

 

僕は、仲のいい3人くらいでわいわい、が一番いいですね。理想なので実現するのもまた難しいのですが。

まとめ

  • 若者の飲み会のありようは価値観の相違とともに変化してきている。
  • それにあわせるために、みんな「空気」を読んでいる。
  • 飲み会がたくさんあるか、ほとんど出ないか、極端になる。
  • 孤独は決して恥ずかしいことではない。逆もまたしかり。

コメント

タイトルとURLをコピーしました