一人旅のススメ。旅は日常を客観視するためのツール。

一般生活

皆さんは、旅行の効能はどんなものだと思われますか?

 

日常から離れる、それが旅行の特徴だということは、誰も否定できないでしょう。

 

それがたとえば家族旅行だったり、卒業旅行だったりすれば思い出づくりの面が大きく、日常の延長と捉えることもできると思います。

 

今回は、その効能について書いていきたいと思います。

 

結論:旅の効能は、簡単に日常を振り返ることができる点

これなんです。これが書きたくて、今回記事を作ったのです。

 

日常生活を繰り返すと、近視眼的になりがち。

日常のなかをぐるぐるまわること。それ自体は悪いことではなく、むしろ当たり前の営みといえます。

 

問題なのは、日常生活を繰り返すうちに近視眼的になり、日常の意義を見失ったり、悪循環に陥ることです。

 

誰でも思い返してみれば、「こんな日常を続けて、生きてる意味、あるのかな」「もうやだ仕事行きたくない」なんて思ったことがあるでしょう。

 

時には日常が嫌になり、逃げ出したくなるかもしれません。ですが、矛盾するようですが我々は非日常の中を生き続けることはできません。非日常が常態化したら、それが日常に取って代わるからです。

 

では、旅行という非日常は、我々の日常にどんな影響を与えているのでしょうか。

 

旅行:一人旅を通して、日常を客観視し振り返ることができる。

旅行、それも一人旅は、非日常の中でも特に、自分と向き合う機会をつくりやすいです。

言い換えれば、自分という人間が何者で、どんなことを考えているのか、旅行中の行動から見えてくるのです。

 

ここで注意してほしいのは、自分が何者か観察することを意識していないと、何の成果も上げられない可能性があるということです。

 

客観視とは意識して行うことです。たとえば、普段人に優しいと思っていた自分が、旅行というムードに飲まれ人に迷惑をかけてしまった。ここまで極端だと自己観察を意識していなくとも、「なんであんなことしちゃったのかなあ」と後で振り返る機会になるかもしれません。

 

そんなレベルまで行かなくとも、普段は世間の目を気にして改札を通る前にICカードを用意していたのに、いざ旅行となると浮かれて改札で後ろの人を詰まらせてしまったりとか。

 

小さな「失敗」あるいは「成功」が、自己観察という意識を通した時、自分が何者なのか見えてきます。

 

それもまた自分なのです。

 

そして、自分が何者か見えてきた時、はじめて日常を客観視することができます。

 

自分とは何者か。それが見えてはじめて日常を客観視できる。

これはどういうことかというと、日常を作っているのは、自分の心そのものなのだということです。

 

あんまり精神論じみていて気に入らないのですが、反面真理だと信じていることがあります。

それは、自分の心持ち次第で「世界の見え方が変わる」ということです。

 

どんなに恵まれている人でも、その人が不幸だと思えばそれは不幸なのです。

反対に、どんなに貧乏でも「俺は幸せだ」と言う人もいます。

 

だから、自己観察こそが、自分人生の何が問題で、何が課題なのか、あるいは何が自分の美点なのか。点検する作業になりうる、ということですね。

 

僕の旅の例。

ここ、どこだかわかりますか?

 

日本、それも鳥取砂丘です。

当時、僕はこの日本離れした光景に、とても感動しました。

 

あのときの僕は感情が鈍くなっていて、あまり感動できない人間でした。

ですが、壮大な景色を見た時、心のリミッターが外れ、一瞬でも本来の自分を取り戻したのです。

 

そして、自分でも人並みに感動していいんだ、感情をなにかに左右されることは間違っていないんだと、思い直すことができたのです。

 

こんな経緯を経るには、中学時代のいじめじみた人間関係までさかのぼる必要があります。

簡単に言えば、いわゆる「いじり」を通して言うことなすことバカにされ続け、嫌気が差して感情を顕にしなくなったのです。

 

傷ついても立ち直れる。そんな言葉のひとつの例が、僕の鳥取砂丘とのある意味での「出会い」だったのかなと思います。

 

あるいは、金比羅山。山頂までいくのに山道を通る必要があるのですが、僕は「汗をかきたくない(セットした髪の毛が汗で濡れて不快になるから)」という理由で途中でリタイアしました。

こういう性格というか特性に気づく機会にもなりますし、逆に乗り越えるべき課題を見つける作業でもあったわけです。

 

そして、しまなみ海道。尾道~今治に至る道を自転車で走って、「自分でもそれなりに物事を完遂できるんだな」と、ちょっとした自信になりました。

 

そして日常に帰っていく。

そして日常に帰った時、たいていの人が旅を振り返ると思います。

 

僕が今でもよく振り返るというか、思い出にひたるのが「夜中のパーキングエリア」。

東北道の那須高原SAとか、関越道の高坂SA、東名阪道の安濃SA。

それぞれに思い出があり、というか思い出へのアクセスの起点が夜の高速道路のパーキングエリアなのです。

 

こんなふうに人によって旅における「フェチ」というか、好きなポイントってあると思います。

 

振り返った時、「ああ、あの時のあれってこういうことだったんだな」と気づきを得ることができる。

振り返りの意義は、旅行中とは違った、冷静な視点での気づきを得ることができる点ですね。

 

これもまた、自分を成長させてくれるものです。

ある意味、旅が終わった後も、心の旅は、振り返りという延長戦でもって続いています。

 

そして、日常の尊さと、改善点に気づく。

どれだけ聡明な人でも、日常の中にいるとやっぱり近視眼的になりがちだと思います。

 

どんな人でもきっとこうした傾向があると思います。

そのバイアスを取り除いてくれるのが、旅行や一人旅なのです。

 

日常を非日常という一歩引いた視点から眺めた時、その尊さや問題点や改善点に気づくでしょう。海外を旅行すると、日本の良さというか治安の良さに気づくのはそのわかりやすい例です。

 

無理してでも、たまには旅に出よう。

せっかく北海道にいるのに旅に一回も行っていないので、温泉地にでも言ってみようかなとお金を計算をしてみたら、1泊でも高速道路代とか宿泊費とか雑費とかガソリン代etc・・・で3万金がかかると気づいて躊躇してしまいました。

 

父親にこの事を電話したところから、この記事は始まっています。会話の中で、自分がやはり近視眼的になっていたこと、そして旅行の効能に気づいたのです。

 

日常があまりにも続くと、時に幸せとは逆行した行動でさえも、「日常」で片付けて続行してしまいがちなのが、人間というもの。

 

無理にでも、たまには旅行しよう、というのが結びの言葉になります。ここまで読んでくださってありがとうございました。

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