腰越港は、比較的いい思いをしたことが多い、相性のいい港です。
ですが、現在は漁業関係者以外、目ぼしいポイントは殆ど立ち入りできなくなっています。
漁港での釣りは、漁業関係者のお目こぼしと言うか、黙認のもとで行われているので、ここはまあ、そういう選択をしたということなんでしょう。
思い出の防波堤も、工事で取り壊されました。
さて、初のお持ち帰り。どんな様子だったのでしょうか。
人は怖いが、海に行きたい。魚が見たい。
この日は、魚の活性が高かったこともあって、下手くそな僕にしてはよく釣れました。
釣りを初めて2年目の11月、腰越港にて初のお持ち帰り(魚)を経験しました。
湘南の海は、東京湾とともに思い出深い釣りが多いです。当時の僕は、まだまだひきこもり真っ盛り。外には徐々に出られるようになったものの、まだ「人が怖い」という感情は強いものでした。
今でもやってるかわかりませんが、飯岡丸という釣船の船宿さんが、釣具屋を兼ねていて、当時釣具とエサを買うことが出来ました。
釣りとまだ見ぬ魚との出会い。恐怖心という壁を乗り越え、飯岡丸さんの店員さんから必要なものを購入。道路を挟んですぐ海です。
「ワクワクが止まらん!」
腰越港にたどり着くまで。
当時、精神的に辛くてあまり遠くまでいけなかったため、腰越へ行くのも勇気がいりました。
まず、人が多い所を通りたくない。藤沢で江ノ電に乗り換えるのですが、その合間に人通りの多い所を通らないといけない。これがなかなかに恐怖でした。
なんとか耐えて、江ノ電に飛び乗る。
周囲の笑い声が自分のことを対象にしているのではないか、という妄想。ある意味、ひきこもりの外出は自分との戦いです。
次は、駅についたら、エサを買わないといけない。
電車に乗る時、僕の立ち位置はドアの前と決まっていました。人と目線を合わせなくて、いいから。
次の行動を考えながら、手すりを掴む手がじんわりと汗ばむ。秋なのに。
腰越で電車を降り、釣具屋へ。釣具屋を出たあとは、「俺なんか変じゃなかったか?」の自問自答。
でも、海に出れば、もうその事しか頭にありません。もちろん漁業関係者のことが気になるものの、スタスタと一直線に、港の一角をなす、神戸川(こうどがわ)の導流堤を目指します。
サビキ釣りでメナダ・メバルと遊ぶ。
この日の仕掛けはサビキ。
仕掛けを投入すると、すぐにグイグイと手応えが。魚が釣れました!
この魚、どうもボラみたいで様子が違うので調べてみると、メナダというらしいです。メナダはこの時釣ったきりです。
逃して、すぐまた釣れる。メナダ。そして今度は・・・
メバルでした。初メバル。でも小さいのでお帰りいただきます。ありゃ、またメバル。
今日は連続して同じ魚が釣れるなあと思っていると、堤防の先端で釣りをしていたオジサンに声をかけられます。
「もっと先端に行かないと釣れないよ」
ウルメイワシがずっしりと重い。
釣れてるし、余計なお世話だなあ、と釣り場ではフテブテしいひきこもり。でも、ついていくと見たことのない青色に輝く魚がつれています。
「ウルメ(イワシ)だよ」
へえ、なんかイワシって言うからには食べられそうだな。と。
仕掛けを投入。なんかすげー重たい。ウルメイワシが鈴なりに釣れました。
しばらくしてエサが切れると、オジサンと一緒に釣りしていた奥さんが、エサをわけてくれました。
へ、なんで?
人から親切にされることに、戸惑う僕。情けない話ですが、大学生になってまともに人から好意を向けられたこともなく。ましてや友達も居ない。人間不信のひきこもり。
なんで?という感想でした。でも、ありがとうございます、は言えたと記憶しています。
ありがとうございます、というほどスマートじゃなくて。
吃って。「あ、え、あ、あり。ありがとうございます!」って感じでしたけど。
いやあ、思い返してもよく釣りなんてやってたなあと思いますよ。こんな辛い思いしてるのに。
その日は、釣果も得て、魚もお持ち帰り出来て、意気揚々と帰宅しました。
イワシは煮付けにしました。うんまい(と記憶しております)!
ちょっとずつ、当時の僕は”階段”登ってたのかなあ。
帰りの電車。藤沢から快速列車で自宅までゆっくり眠りにつく。
地味に好きだったのが、遠くまで釣りに行くと、行きは早くつかないかなと、辛いのですが、帰りは惰眠を貪れるので好きだったりします。
首は痛いし、お尻も痛くなるけれども。
ひきこもりはもっと長く続きました。当時はまだ、暗闇の只中。闇の支配する”日常トンネル”に光がさすには、まだまだ時間がかかります。ですが、ゆっくりと進んでいれば、いつかは出口にたどり着く、一本道。それがひきこもりです。その一助が、杖とも言えるのが釣りでした。
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