羽田の海老取川で、見知らぬ少年に優しくされた話。

引きこもりと釣りと

真鶴の福浦港でひどい目にあった、1ヶ月後。

僕は夏休み中盤に、大田区・羽田の海老取川という釣り場にいました。

川海老の住む、下町の水路

大田区といえば、僕はどっちかというと蒲田とか田園調布とか煌びやかなところよりも、羽田に近い漁師町の雰囲気残る、下町をイメージします。

 

2010年の夏訪れたこの海老取川は、京急空港線・天空橋駅を降りたすぐのところにある、ハゼの釣れる場所でした。

 

海老取川はもともと、多摩川と大森海岸を、羽田空港の西側に沿って結ぶ船の水路です。

川というよりも、船の航行する場所という意味合いが強いのです。

 

そんな場所ですが、ハゼのポイントとしては有名で、当時はたびたびネットなどで情報が出回っていました。この日は当然、ハゼを狙って釣りに来ました。

 

なぜ海老取川という名前なのか。歴史をさかのぼってみないとわかりませんが、昔は川海老がたくさん採れたのでしょう。

 

ここで僕は、今もここに住む川海老にまつわる「やさしい因果」に遭遇します。

 

なかなかハゼが釣れず、苦戦。

ハゼといえば、口先でちょこちょこと餌を小突いて食べる魚。

 

この日はあいにくアオイソメの持ち合わせがなく。

近くにアオイソメを売る民家があるという情報は掴んでいたのですが、ひきこもりに民家に顔を出せる勇気があるわけもなく。

 

持ち合わせのオキアミでなんとか釣ろうと頑張っていました。

 

が。

 

餌だけ取られる展開が続きます。

 

オキアミは柔らかく、針からとれやすい餌なのです。どっちかというと、餌を丸呑みしてくれる魚をターゲットにした餌で、餌もそれほど大きくないので針を丸呑みされて仕掛けを飲まれることが少ないというメリットもあります。

 

ですが、やはり針から取れやすい餌ですので、ハゼのように餌を小突かれると、その衝撃で針から餌が取れてしまう代物なのです。

 

アオイソメはその点、身がしまっていて、何より生きているので針から外れにくいです。

 

この日は釣れないながらも、なんとか数匹だけ釣りあげることができました。

 

釣りは、この試行錯誤が楽しいといっても過言ではありません。

たくさん釣れると飽きてくるのが、僕のパターン。これは今でも変わりません。

 

釣るのは、自分やご近所さんが食べる分だけでじゅうぶん。

他人にブログで見せびらかすような釣りはしません。

 

話が逸れました。

 

小学生くらいの少年が一人でやってきた

悪戦苦闘しながら一人でハゼと格闘していると、一人の少年がとなりにやってきて、「釣れてますか?」と聞かれました。

 

ひきこもりなりに「微妙だなぁ」と答える僕。

 

「ふーん」と少年。

 

これが、この地域のコミュニケーションなのでしょう。釣りを通して、釣り人と地域の人がゆるく、つながる。

それが子どもにも引き継がれていて、いい意味で地域のつながりが残っているのだと、今これを書いている時点では感じます。

 

ですが当時は、少年に対しても「嫌われたら駄目だ」と過剰に思って、うまく対応できませんでした。

作り笑顔も、張りぼてのように僕の顔に張り付いていたと思います。

 

おもむろに水中に虫取りアミをつっこむ少年

少年、釣れない僕に見かねたのか、おもむろに虫取りアミを水中に突っ込んで、何か取ろうとしています。

 

当時の僕は、目が悪いのに眼鏡をかけていなかったので、その正体に気づけませんでした。

 

「何か取ってるの?」

 

「海老」

 

「へぇ、すごいね」

 

何がすごいのかよくわかりませんが、短い会話は途切れます。

 

その後、無言で虫取りアミを引き上げる少年。網の中には、水路の岸壁にくっついていた川海老、日本名「テナガエビ」が入っていました。

 

思わず「こんなところにいるんだぁ」と喜ぶ僕。この時は素で喜んでました。

 

「あげるよ」

 

「え、いいの?」

 

「うん」

 

なんてことない、日常の一コマ。

 

僕はこの積み重ねによって、今も生かされているんだなと、しみじみ感じます。

 

当時は気づけなかった、自分の見え方と少年のやさしさ

当時少年からは、大人が一人で寂しく、しかも釣れないのを見ると余計寂しく見えたことでしょう。

それが何か少年の琴線に触れたのだと思います。

 

こういう行動って、大人になると勇気がいるものです。

 

子どもだからこそ純粋に、寂しそうだし釣れてないから、海老でも採ってあげよう、と。

 

重たい言い方をすると、それまでも、釣りをしていると地域の人や通りがかりの観光客に話しかけられ、それだけで社会との繋がりをなんとか見出している状況でした。

 

それほどまでに人とのつながりを渇望して、それでもハリネズミのごとく警戒心をまとっていた僕。

 

そのトゲを、優しくひとつひとつ抜いていってくれたのが、釣りであり、釣りを通した人とのつながりだったのです。

 

この日の海老取川で見た夕焼けは、やけにに沁みました。

少年にわかれを告げ。

帰り際、少年は両親や兄弟と一緒にいました。ひきこもりなりに勇気を出して「さようなら」というと、「さようなら」と返してくれました。

 

今なら意識せずできることにも、当時は必死でした。なんとか絞り出せた一声に、僕自身が安堵していたのを覚えています。

 

2010年の、夏が終わろうとしています。

 

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コメント

  1. あおいそら より:

    この記事はとても琴線に触れました。絞り出したじぶんの一声に、安堵したところがすごくよく共感できました。
    がんばりましたね、本当に。

    • masahiro より:

      ブログ主です。コメントありがとうございます。
      がんばりましたね、とそういっていただけるとすごく嬉しいです。
      きっと過去の僕も喜んでいることでしょう。

      こういった釣り場での出会いが僕を生かしてくれるのは、今も一緒です。
      先日も北海道の苫小牧で釣り人の親切に触れるにつけ、
      釣りっていいなあと再確認していたところです。

      このシリーズの続きはゆっくり書いていきたいと思いますので、
      もしよければまたご覧ください。

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