釣りを始めてからの3年間は、釣りに行くのは年に数回だけでした。
行く機会が少ないのは、単にやる気がないのではなく、外出するだけで精一杯だったからです。
人が怖い、の具体的な事例。こういうことです。
人が怖いというと、感覚的な理解が難しいかもしれないですが、街じゅうに敵キャラ(=通行人)がいて、そんな人達とすれ違うたびに精神力が減っていくような理不尽なゲーム、といえば理解してもらえるでしょうか。
なぜ、すれ違うたびに精神力を削られるのか。僕には、個人分析ですが、自己臭恐怖と、醜形恐怖がありました。自分の匂いが人を不快にして、咳払いなどの症状を通行人に引き起こさせているのではないか、というのが自己臭恐怖。また自分の醜さが人を不快にさせているのではないか、というのが醜形恐怖。これらの疑念が払拭できなかったのです。つまりは外見に関する妄想ですね。
まともな精神状態ではなかったですし、両親にもなかなか状況を理解してもらえませんでした。
今でこそ冷静に過去の自分を分析できていますが、過去の渦中にいる自分には、自分がとらわれているこうした症状について、客観的に見ることはほぼ不可能でした。
そしてバツが悪いことに、通行人が咳払いや鼻すすりなどの反応を示すのです。たぶん、警戒心が強すぎて向こう側に伝わっていたのだと思いますが、これが脊髄反射的に咳払い・鼻すすりへの執着と恐怖を生み出していました。
過去の僕に変わって、こんな状況になったら、あなた、外歩けますか?
今もこうした症状で苦しんでいる人へ。
こうした症状は、何かのきっかけと「人は怖くない」という気づきが生まれない限りは治りません。当事者にとっては酷な言い方ですが、人と関わらなくては治らない症状なのです。
怖いと思いますが、少しずつでも外に足を踏み出してください。
当事者の家族へ。
話を聞いてあげてください。わけが分からなくても、本人にとってはそれが世界の真相なのです。たとえ、それが間違っていたとしても。
聞いてもらえたことで、当事者は色々な反応を示すかもしれません。怒り・被害者意識・悲嘆…ですが、ぐっと言いたいことを堪えて、受け入れてあげてください。本人は、自分がおかしいことに内心気づいています。そんな彼らを、見捨てないでください。回復への近道はそこにあるのです。あなたが受け入れてあげなかったら、自分すら信じられない彼らを、誰が信じてあげられるのでしょうか。
ネガティブな感情を吐き出すことは、一時的には治療につながります。つまりはガス抜きです。そこから、ゆっくりと話し合い、何が障壁なのか、何が事実誤認なのか、ゆっくりと話し合ってください。冷静さが肝要です。
なぜ釣りに行ったのか。
ひきこもっていることへの焦りがあったのだと思います。このままでは人生が行き詰まってしまうと。そして、外に出ることが治療につながるという漠然とした思い込みもあったのでしょう。さらには、釣り場のオジサンたちに助けられたという意識もあります。
そして、魚への興味関心。これこそが、一縷の望みだったのです。
苦しいけど、外へ出たい。そこには、危機感と、知的好奇心を満たしたいという思いがあったのです。一見、知的好奇心とひきこもりというと相反するかもしれません。しかし、変わらない日常に焦っている当事者は、実のところ知的好奇心に飢えています。乾いたスポンジのようなものですから、好きなことに対する覚えはすごく早いと思うのです。
釣り、魚には本当に助けられた。
これがなかったら、そしてこれに代わるものがなかったら。僕は今でも自意識の殻に閉じこもり、心に壁を作ってひきこもっていたかもしれません。
なにがきっかけになるか、わかりません。うつ病など、原因が明確なひきこもりには通院が的確な治療法ですが、そうでない場合、まず知的好奇心を満たしてあげてください。
人生は必ず拓けます。活動している限り。
本当は釣りについて書きたいのですが、未だに苦しんでいる同士のことを思うと、自然とタイピングする指は、過去の自分のことを表現したがっていました。そろそろ、釣りに関する話題中心に移っていきますかね。実は今回が一番エグかったかもしれません。不快感を覚えた方、ごめんなさい。
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