年始から重い話題で申し訳ありませんが、自分に言い聞かせる意味で書いています。
突然ですが、この世は地獄です。
誰にもわからない、終わることのない苦痛
よく、この世は魂の修業の場だというお坊さんがいます。それって、この世は地獄ってことなんじゃないかなあと薄々感じていたのですが、最近になって「終わらない苦痛」を感じるにつけ、それが真実なんじゃないかと思うようになったのです。
子は親を選んで生まれてくるといいますが、僕はそうは思いません。自分の意思ではないところで選別され、生まれてくるのだと思います。生まれたい、と思って生まれる赤ん坊は居ませんよね?
生まれる場所が選べるのならば、飢餓や貧困が蔓延する地域や、絶望に満ちた社会ではなく煌びやかな社会や、平穏に安らかに暮らすことのできる社会を選んで生まれてくるはずです。
僕は統合失調症や生来の体質の結果、非常に疲れやすいです。物音やストレスにも敏感です。そしてそれは根治療法がないのです。HSPって言われるやつではないかと思っていますが、対処療法しか方法論がなく、主治医に提案しても軽くあしらわれることでしょう。
人は皆、孤独、その意味
僕は、五体満足だし、難病を抱えているわけではありません。
ですが、この苦しみは誰にも、誰にもわかることはないと、もう本当に思います。
それこそ、生涯連れ添うことを誓った伴侶でもない限り、わかってはくれないでしょう。
ですが、それはしょうがないことだと思います。だって、僕になり替わることは誰にもできないのですから。
そしてそれは、僕が他人になり替わることができないこととも、同義です。
人は皆、こういう意味で孤独なんです。
一方で、地獄でも希望を見出すことはできる
生き地獄にいながら、希望を見出す方法とは
仮にこの世が地獄だとしましょう。
でも、この地獄に生きる限りは、希望を持つことはできるのです。
逆説的になりますが、命を絶ったり、斜に構えたり絶望ばかりしていては、希望が向こうからはやってこないのです。
命の危機に陥ったり、逆に自ら命を絶とうとしたり、絶望した人ほどこのことにはきっと敏感になっているはずです。
一度諦めかけたからこそ、そのありがたみがわかるのです。
僕も絶望をかじったクチですので、そのことは理解しているつもりです。
希望を持つ方法とは、ずばり、生き続けることに他なりません。
なんでもそうですよね。ブログだって、途中で諦めちゃえばそれまでの積み重ねはおじゃんです。スポーツや勉強も同じです。だからこそ、希望を持って努力していくんです。
(やめても、知識だけは積み重なりますけどね)
「俺には〇〇しかない」というひとは?
ある特定のものに秀でていて、それしかないんだという人には、これは当てはまらないかもしれません。
だって、それしか糧がないわけですから。だからこそ夢中になれるし、努力を努力とも思わない。常人には発揮できない力が活かせるのだと思います。
とにかく生きて。そしていつか希望を掴め。
希望が必ずしも掴める保証はありませんが、逆に言えば生きていないと希望は掴めません。
そこで出てくる理論が、「生きてるだけで丸儲け」なんですね。
「生きてるだけで丸儲け」は物事を深く掘り下げた人にこそあてはまる
ここで、ただ漫然と生きることを是とするわけではないことを言っておきます。
漫然と生きるとは、現状維持を続けることですね。
現状維持にだってエネルギーが要るのですが、それはそもそも希望を掴むための行動ではありません。
そうではなく、ある物事を深く掘り下げた人にこそ、希望は降ってくるのではないかと。
そういう人は、言葉が重いし、自分を客観視しようとするからまともだし、人からは嫌われがちな傾向があるかもしれません。いつも本音で生きているからです。
そんな人だからこそ、希望を掴める。そう信じたいのです。
生きてるだけで丸儲け、とは、たとえ本人にしか価値がわからなくとも、何かを深く掘り下げるという事と同義だと思います。
この地獄をどう楽しむ?
楽しみつくしてやろうではありませんか、この地獄を。
ここは魂の修業の場なんです。
たとえしんどくなって休んでも、いいんです。また立ち上がれば。
今よりもよい暮らしを送りたい。そのためにする努力を、誰が笑えるか。
最近とあるアニメやYoutube動画を見て、とてもそう感じたのでした。
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